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徳島地方裁判所 昭和58年(人)2号 判決

請求者 植木みどり

右代理人弁護士 上野忠義

同 川口光太郎

同 堀川文孝

被拘束者 甲野春子

右代理人弁護士 松原健士郎

拘束者 甲野太郎

右代理人弁護士 宗藤泰而

同 小貫精一郎

同 林伸豪

同 枝川哲

同 川真田正憲

主文

一  請求者の請求を棄却する。

二  被拘束者を拘束者に引き渡す。

三  手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放する。

2  手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者

主文同旨

第二当事者の主張

(請求者の請求の理由)

一  被拘束者は、昭和三九年一二月四日生まれ(当一九歳)の女性で、昭和五八年三月徳島県立A高等学校を卒業し、同年四月早稲田大学教育学部に入学し、同月一四日請求者から統一教会の教理の伝導を受けて原理研究会に入会し、早成寮に入寮していたものである。

二  被拘束者は、同年七月一二日早稲田大学において授業中、父である拘束者及び同行の数名の者によって無理やり同所から連行され、徳島県へ連れ戻された。その途次、同月一三日ころ、被拘束者は徳島県内のレストラン「うなぎや」のトイレに、「命がけのお願いです。」との書出しで、両親らと家に向かっている旨を知らせるメモを残して早成寮への連絡を託した。その後、右レストランから早成寮へ右内容の連絡が入った。

三  被拘束者は、棄教強要の目的で同月一三日ころから同年八月一五日まで愛媛県宇摩郡《番地省略》B病院に入院させられ、その後拘束者宅(被拘束者の実家)に監禁されている。その間の同年八月二五日深夜、被拘束者は早成寮に「これから脱出する。」旨の電話連絡をし、監禁されていた自宅二階から、衣類一〇枚くらいつなぎ合わせたものをロープ代わりにして脱出を試みたが、同女の乗ったタクシーが無線連絡により追い掛けてきた両親の乗るタクシーに追い付かれ、結局自宅に連れ戻された。

四  以上のとおりであって、被拘束者は早成寮に帰りたがっており、信教の自由が保障されている日本国憲法下においては、たとえ親権者といえども、その親権に服する子が選んだ宗教につき棄教を強要し、当人を監禁することは親権行使の濫用であり許されない。

よって、人身保護法第二条、同規則第四条により被拘束者の即時釈放を求める。

(拘束者の請求の理由に対する認容及び主張)

一1  請求の理由一の事実のうち、原理研究会入会の時期は不知、その余は認める。

2  同二の事実のうち、被拘束者が、拘束者及びその同行者らによって、請求者主張の日に、主張の場所から連行されたことは認め、その余は不知。

3  同三の事実のうち、被拘束者が、請求者主張の期間入院させられ、その後拘束者宅に連れ帰られたこと、及び右拘束者宅から被拘束者が脱出を試みたが拘束者によって連れ戻されたことは認め、監禁の点は否認し、その余は不知。

4  同四は争う。

二  拘束者が被拘束者を連れ戻した経緯及び被拘束者に関する現状等は、次のとおりである。

本件請求は、夫婦の一方が他方に対し子の引渡しを求める人身保護請求事件などと異なり、事実上、統一教会なる宗教団体が親権者に対しその子の引渡しを求めるという特異な事件である。この事件の特質を理解するため、統一教会、原理運動の実態を明らかにしなければならない。

1 原理運動の実態

(一) 請求者は、統一教会の伝導者であるというが、統一教会とは世界基督教統一神霊協会の略称であって、韓国人文鮮明が創始し、既存のあらゆる宗教の統一をめざし、宇宙の根本原理(神)と人間の生命関係を解き明かす、という教理に基づく活動であるところ、昭和四〇年初めころから全国大学連合原理研究会が各大学の中に原理研究会を組織し、学生の中で統一教会の活動を開始した。

(二) 昭和四二年頃から、統一教会、原理研究会の活動は、大きな社会問題を醸すに至った。例えば、原理研究会に参加した男女学生が学業を放棄し、親の承諾なしに統一教会宿舎に泊まりきりとなり、そうかと思うと一斉に帰宅して親に寄付金や物品(壺、多宝塔など)の購入を要求し、街頭に出て花売りなどにより各種のカンパを集め、個別訪問して物品(朝鮮人参液、印鑑など)を販売するなどの事態となり、被害者となった学生の父母が子供を返せと原理運動被害者父母の会を組織するに至った。その後、昭和五〇年には「統一教会の信者約二千人が、ちかく韓国で集団結婚式をあげる。結婚する相手も教会側で決める国際結婚といわれ、驚いた信者の父母が・・・対策を協議」(朝日新聞昭和五〇・一・二三朝刊)と報ぜられた。

(三) 昭和五一年一月、右父母の申立てを受け、日本弁護士連合会人権擁護委員会は原理運動に関する事件委員会を設置した。日弁連は、昭和五八年一〇月二九日開催の第二六回人権擁護大会において、「当事件委員会としては諸問題のうち、伝導布教のやり方について青少年に対する入会強制・脱会阻止等について信教の自由を侵してはいないか、修練会の実施内容と信者の自殺、死亡との間に因果関係がないか、集団結婚が婚姻の自由を侵してはいないか等を中心にして数多くの資料について目下整理し検討中である。」との報告をした。

(四) 次いで、昭和五二年七月には、衆議院法務委員会において継続して統一教会に関する審議がなされた。その議事録(「原理運動の研究」資料篇Ⅱ所収)によれば、血分け(姦淫)の容疑、修練会での致死事件、父母に対する統一教会本部員の暴行事件、精神異常を来した子弟の問題等が指摘されている。

(五) 統一教会の修練会のもようは、既にこれを実際に体験したジャーナリストによって報道されている(毎日新聞社「宗教を現代に問う」所収)が、これには一種の洗脳であるという批判が加えられており、事実、錯乱者が続出している(茶本繁正「原理運動の研究」一一〇頁以下)。前記日弁連事件委員会に提出された父母の会の統計によると、統一教会に入信した者のうち七五%が家出し、二七%が行方不明、更には死亡者も出ているという。そして、統一教会本部柳光烈文化部長は毎日新聞記者に対し、「全世界の人々を神の世界に引き戻す作業を、我々の世代のうちに実現させなければならない。事は急なので、そのために多少狂信的な面が出るとしてもやむをえません。」と語った。

(六) 更に、統一教会が国際勝共連合なる政治団体と表裏一体の関係にあって、各地で反共産主義を最大のスローガンに活発な政治活動を行っていることは周知の事実である。

(七) この統一教会の活動は、アメリカやヨーロッパ諸国でも強い批判を招き、伝導者の入国拒否、布教禁止などの措置に出ている国がある。

2 被拘束者が統一教会の活動に参加するまでの一家の生活

(一) 被拘束者甲野春子は、拘束者と甲野花子との間の子(長女)であって、右両名の親権に服している。拘束者には、被拘束者を含め五人の家族がある。妻花子との間に、被拘束者のほかに次女夏子(徳島県立A高等学校二年生)がおり、父松太郎、母マツも一緒に生活している。父松太郎は、高齢の上に心臓病、高血圧症の持病があり、ほとんど寝たきりの生活である。

被拘束者は、昭和五八年三月、A高校を卒業し、同年四月早稲田大学教育学部国文学科に進学した。高校時代の被拘束者は、成績は常にトップクラスであったが、勉強以外にも、当初はバレーボール部、その後は放送演劇部に属してクラブ活動も熱心に行っていた。被拘束者は、まじめで素直に人を信ずることのできる性格で、友人も多かった。

拘束者は、女の子を遠くの土地に出すことについては必ずしも賛成ではなかったが、被拘束者の進学の希望を心よく受け入れて早稲田大学に進学させることとなった。この頃の被拘束者の一家の生活は、明るく人のうらやむ円満さに包まれていたと言ってよい。

(二) 拘束者は、被拘束者の進学に当たり、妻とともに上京して東京都練馬区内に下宿を探して被拘束者を住まわせることとし、生活環境も点検した。拘束者は、被拘束者の下宿生活のため、冷蔵庫・テレビ・こたつなど何不自由ない支度をした。

3 被拘束者が統一教会に入信した以降の経過

(一) 被拘束者は、上京後しばらくは三日を置かず電話や手紙で近況を拘束者に連絡してきていたが、昭和五八年五月二〇日頃から連絡が途絶えがちとなり、下宿先に連絡したところ、下宿の人の話では、被拘束者は度度下宿に帰らないことがあり、同人にどうしているのかと尋ねると「行先は実家に連絡してある。」と答えるとのことであった。

(二) 拘束者がやっとの思いで被拘束者に連絡を付けたところ、同月二六日、被拘束者は請求者を同伴して自宅に帰ってきた。請求者は、統一教会布教用のビデオらしきものを持参し、父兄向けのパンフレットも用意して拘束者らに原理運動の説得をしたが、拘束者は全く理解できなかった。拘束者の妻は、被拘束者の余りの変わり方に大きなショックを受けて倒れ、医師の治療を受けなければならないほどであった。被拘束者は、その夜、母親の看病の席から離れ、家人に黙って家出をした。

(三) その後、被拘束者とは連絡が取れず、拘束者は心配の余り同月二八日上京して必死に捜索した結果、被拘束者が既に下宿を引き払って統一教会早成寮内に住み込んでいることを発見した。

(四) 同年六月二六日、拘束者夫婦は再び上京して、早稲田大学学生部に相談したところ、統一教会に詳しい高木貴久氏に相談するよう勧められ、同氏とともに統一教会早成寮の寮長高橋某、被拘束者と四時間にわたって話合いをした。その際、被拘束者は、夏休みの四〇日間を統一教会修練会に参加したいと言い、高木氏は、夏休みの半分を修練会、半分を自宅で過ごすように説得し、被拘束者は同年七月六日までにその返事をすることを約した。

(五) 被拘束者から右の返事がないまま、拘束者はついに意を決して被拘束者をしばらく自宅に連れ戻すこととし、同月一二日親族とともに上京し、早稲田大学学生部や教授の協力を得て、大学構内から被拘束者を車に乗せ連れ帰った。もともと被拘束者は、心臓が弱いうえ、夜中に起きて訳の分からぬことを叫び出し、顔色も尋常でなかったため、拘束者は医師の診断を受けさせることに決め、同月一三日から愛媛県宇摩郡《番地省略》のB病院に入院させたのである。

(六) 同病院では、諸検査、臨床所見からみて特に異常は認められないが、被拘束者をゆっくり静養させる必要があるとの診断結果となり、拘束者は、八月一六日被拘束者を自宅に連れ帰った。拘束者の妻花子は勤務先を休職し、同女及び拘束者は、右同日以降自宅離れの二階において、被拘束者とともに親子三人で起居、食事を共にし、被拘束者と親としての愛情を傾けて話合いをしてきた。最近においては、被拘束者も落着きを見せ、少なくとも来年春までは自宅で生活したいと述べている。そして、大学復学をめざして勉強に熱中し、炊事等の手伝いもし、笑顔も見られるようになっている。また、同年一〇月二九日、被拘束者は医師により、慢性胃炎、心筋障害、慢性肝炎のため安静を必要とする旨診断されている。拘束者が被拘束者を看護しなければならない状態にあることは、この点からも明白である。

(七) 被拘束者が自宅に帰って以降、自宅付近には身元不明の男女が香川ナンバーの車に乗って双眼鏡を持つなどしてはいかいし、拘束者宅に侵入しようとしたこともある。また、拘束者宅には、連日、「東京のルポライター」と名乗り、「子供を連れて帰っただろう。記事に書けば、大騒ぎになる。」などの脅迫の電話があい次いだ。そして同年八月二五日以降は、「警察にいうぞ。」「東京から大勢押し掛ける。」などの内容の電話となった。これに応対したのは、ほとんど被拘束者の祖母であるが、ノイローゼ状態となり、一時電話の受話器を外したこともあった。

(八) 同年五月下旬、A高校乙山教頭に対し、数回にわたって(学校と自宅に)、「このことが知れれば、A高校の全国大会出場はできなくなる。」「甲野と話合いをさせよ。」などという電話も掛かった。そのころ、拘束者宅付近の甲野松夫、同竹夫、同梅夫宅へは、氏名不詳の男が二人連れで現れ、「甲野春子のいる場所を教えてくれ、いわないと共謀で罪になる。」などと脅迫した。更に、自宅付近の家には、軒並みに同様の電話が掛かっている。

三  右二のような事実関係に照らし、拘束者の被拘束者に対する親権の行使は違法な拘束ではなく、その他次のとおり請求者の請求は理由がない。

1 請求者の請求は、人身保護法による救済請求の要件たる無権限であることの顕著性を欠く。

人身保護規則四条によれば、人身保護法二条の請求が認められるためには、拘束が無権限になされ又は法令違反のものであることが顕著であることを要する。しかるに、拘束者は親権者として被拘束者を教育し監護する法律上の権利を有しており、他方、例えば拘束者が被拘束者に暴行を加えて威迫したり、その身体を緊縛して身体的自由を拘束したり、一人だけ室内に閉じ込め施錠をして監禁したなどの事実はない。請求者は、ただ拘束者が被拘束者を自宅監禁をしたと主張するだけであって、拘束が無権限でなされている事実の顕著であることの主張疎明がない。本件請求は、この点で棄却されるべきである。

2 拘束者は、被拘束者に対し親権の正当な行使を行っているのであって、拘束の違法性はない。

親権の内容である監護教育は、未成熟の子を身体、精神ともに健全な社会人に育成していくことを意味し、拘束者は、被拘束者に対し心からの愛情を傾け、右の意味において必死に監護教育を行っている。拘束者は、たしかに、昭和五八年八月二五日深夜被拘束者が自宅から統一教会早成寮関係者の援助をえて家出しようとしたのに気付き、これを追い掛け自宅に連れ戻したことがある。このように拘束者が被拘束者の意思に制限を加えたことがあるにしても、それはあくまで監護教育のためであって、親権の正当な行使の範囲内にある。したがって仮に拘束者が被拘束者を拘束しているとしても違法性はない。

3 本件請求は、人身保護救済制度の濫用である。

既に述べたように、請求者に等しい統一教会は、信教の自由をうたいながら、自らがかえって信教の自由を侵害し、基本的人権を侵害する活動をしているという重大な疑惑にさらされている。その統一教会が、基本的人権を保障する日本国憲法の精神に従い制定された人身保護法に基づき本件請求をなす背理は、何とも説明し難いものである。まじめな青少年を洗脳し、親の承諾もなく(親権の一作用である居所指定権を妨害して)統一教会寮に移転させ、親と子との情愛に基づくつながりを破壊し、果ては、親権者の手からその最愛の子を奪おうとするがごとき本件請求は人身保護制度の濫用といわざるをえない。それは、また、自ら違法行為をなしながら拘束の違法性を主張するものであって、クリーンハンドの原則に反するものである。

第三疎明関係《省略》

理由

一  被拘束者が、昭和三九年一二月四日生まれ(当一九歳)の女性で、昭和五八年三月徳島県立A高等学校を卒業し、同年四月早稲田大学教育学部に入学し、その後請求者から統一教会の教理の伝導を受けて原理研究会に入会し、早成寮に入ったこと、被拘束者が、同年七月一二日、父である拘束者及びその同行者らによって、早稲田大学から連行され、翌一三日ころから同年八月一五日まで愛媛県宇摩郡《番地省略》B病院に入院させられ、その後拘束者宅に連れ帰られたこと、右拘束者宅から被拘束者が脱出を試みたが拘束者によって連れ戻されたこと、は当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

1  被拘束者は、昭和三九年一二月四日父甲野太郎、母花子間の長女として出生し、祖父松太郎、祖母マツ、妹夏子の六人家族の中で生育した。昭和五八年三月徳島県立A高等学校を卒業したが、高校時代、成績は上位にあり、当初バレーボール部、その後放送演劇部に属してクラブ活動も熱心に行い、明るく素直な性格で人を信じやすく友人も多かった。同年四月早稲田大学教育学部に進学し、大学の紹介による練馬区内の下宿で生活を始めた。同月一四日、大学構内で、統一教会の教理である統一原理の伝道活動をしていた請求者から、統一原理の伝道を受け、原理研究会に入会した。同年五月中旬頃より被拘束者から実家への連絡が途絶えがちとなって拘束者らが心配したため、被拘束者は請求者を伴って同月二五日帰宅した。拘束者夫婦は、被拘束者から原理研究会に属している旨聞かされ、両親とも同女の変化に衝撃を受け、殊に拘束者の妻は床に伏す有り様であった。請求者は同日の昼頃帰京し、被拘束者は夜半家人に告げることなく帰京した。同月二八日ころ、拘束者は、心配の余り上京し、被拘束者が無断で下宿を引き払って原理研究会の経営する早成寮に入居していることを知った。拘束者は、妻とともに同年六月二六日再び上京し、大学の学生部長に相談するなどした結果、相談相手として高木貴久を紹介され、同人、早成寮の寮長高橋某、拘束者の妻、被拘束者らと被拘束者の来るべき夏季休暇の過ごし方について話し合った。被拘束者からは四〇日間の統一教会の修練会に参加したいとの申出があり、これに対し高木は大学進学後初めての夏季休暇なので郷里に帰るようにと勧めたが、被拘束者はこれに応ぜず、そこで高木から半々ならどうかとの提案がなされた。しかし、被拘束者は、これについて即答できかねるので、同年七月六日までに高木を通じて実家に返答の連絡をする旨約した。ところが、その後被拘束者から何らの連絡もないままに右約束の日を経過したため、母の看護をしながら夜半に黙って家を出たり、親に無断で下宿を引き払ったりしたことなども思い合わせて、以前の被拘束者からは到底考えられない異常な行動にいたく心痛し、拘束者夫婦としては、このままほっておけないと考え、被拘束者を連れ帰るため、同月一二日頃キャラバン車を用意し、親族を含め七、八名で上京した。

2  同月一二日早稲田大学において、試験を終えて教室から出てきた被拘束者を拘束者と叔父とで捕まえ、逃げようとする被拘束者を抱えてキャラバン車に乗せ、そのまま徳島県に向かった。途中奈良県で一泊したが、被拘束者が夜中に飛び起きたり独り言を言ったりなどしたため、翌一三日の朝、拘束者は、被拘束者を病院に入院させることを決め、愛媛県のB総合病院に電話で手配をした。徳島県のレストランで食事を取った折、被拘束者は、トイレに、「命がけのおねがいです。」との書出しで両親らと家に向かっている旨早成寮に電話連絡することを乞う走り書きを残した。同日中にB総合病院に到着し、被拘束者は直ちに精神科病棟に入院させられた。その結果、取り立てて異常は認められないが両親の下に置いて静養させなければいけないとの担当医師からの指示の下に、同年八月一六日ころ被拘束者は退院し、拘束者宅の離れの二階で拘束者夫婦と被拘束者との生活が始まった。被拘束者の母は、勤務先を休職して常時被拘束者に付き添うことになった。右離れの一階にはトイレ、台所などがあり、その二階で被拘束者の高校時代と同様の生活が営まれたのであるが、離れの入口は一階の母屋に面した一箇所のみであり、夜間は内側から鍵を掛け、施錠及び鍵の保管は拘束者の妻が行い、二階の窓には内側から角材で格子が取りつけられてあった。

3  同月二五日の夜半、被拘束者は離れの二階に家人がいなくなったのを見計らって、二階の窓の格子を取り外し、衣類を繋ぎ合わせ、これをロープ代わりにして道路に降り、一旦親戚の家に寄ってそこから早成寮に電話を掛け、高松市内の統一教会へ赴くよう指示を受けてタクシーで高松市に向かった。しかし、その途中、親戚からの連絡を受け、タクシー会社の無線連絡により追い掛けてきた拘束者に発見され、再び自宅に連れ戻された。そして、被拘束者は、一人で町に出ることなどは禁じられ、必要な物は母の手で買い調えられ、母屋と行き来することも認められず、また母からは、東京に逃げ帰ったり統一教会と連絡を取ったりすれば家の者が心中しなければならなくなる、と言われた。被拘束者の話し相手はほとんどが母で、その話題も学校のこととかごく日常的なことを出ず、被拘束者自身原理研究会に触れることもほとんどなく、また、東京へ帰りたいということも余り口にしないで過ごした。同年一〇月二四日、村上密牧師を交えた話合いで、被拘束者は、早成寮に戻らない、統一教会と連絡を取らないとの条件の下に、祖父母、妹が生活している母屋と行き来することが許され、また統一原理の解説書である原理講論を読むことも認められるに至った。しかし、離れから母屋へ行くのにも母か祖母が付いて回り、一人で洗濯物を取り入れようとするときにもその都度問い質されている。同月末には、前記高木貴久が拘束者宅を訪れ、拘束者夫婦、被拘束者との間で、被拘束者の今後の大学関係のことについて話合いが持たれ、結局大学へは来春復学することで手続を進めることとし、それまでの生活をどうするかは本裁判が終了した時点で話し合うが、家にいる間は心臓病などで寝たきりの状態である祖父の世話など家事の手伝いをするということになった。

4  被拘束者は、小、中学時代過激な運動をすれば心臓の調子が悪くなるなど、もともと心臓が弱かったが、同年一〇月二九日に診療を受けたところ慢性胃炎、心筋障害、慢性肝炎のため安静加療の必要を認める旨の診断結果が出た。

5  なお、外部から自宅にルポライターであるとか、大学教授であるとか称して連日三、四回の嫌がらせの電話が掛かり、しかもそれが深夜になされることもあり、これまでに数百回を数えるありさまで、その応接に当たっていた祖母が精神的に疲れ果てて倒れたこともあった。また、不審な二人連れの男が車で拘束者宅の周りを徘徊していたこともあった。

6  被拘束者は、現在、早く帰京して早成寮に入居したい旨強く希望しているが、一方的に拘束者の意思を踏みにじってまで強行したり、拘束者を恨みに思ったりするような気持ちはなく、むしろ拘束者に事態を理解してもらい、拘束者との間が対立関係のまま終るようなことにはしたくないと思うに至っている。

三  以上の各事実に基づき、請求者の請求の当否について判断する。

1  被拘束者は、昭和五八年七月一二日早稲田大学構内から拘束者に連行され、引き続き同年八月一六日ころまで愛媛県の病院(精神科病棟)に入院させられ、退院後も、当初は、自宅離れでの生活に制限された上、常に母ら家族によって監視されていたのであり、同年一〇月二四日以降は、母屋との行き来が許されるなど自宅内における行動の範囲の制限は緩和されてはいるが、なおも外出や外部との連絡は禁じられ、拘束者ないし母、祖母らによる監視の目は緩められていないのであって、身体の自由につき拘束を受けているものと認められる。

2  被拘束者は、本年一二月四日に一九歳になった未成年者で、拘束者及びその妻の親権に服するものである。ところで、親権は、その内容として、これに服すべき未成年の子を心身共に健全な社会人として育成するためその全生活にわたり監護教育を施す権利を含み、それは同時に義務性ある権能でもある。そして、かかる未成年の子に対する監護教育権行使の意義は、次代における健全な市民の形成にあるのであって、未成年の子の信教の自由に対する干渉も、それが明らかに未成年の子の幸福に反するなど濫用にわたるものと認められない限り、許容されてしかるべきものである。

これを本件について見るに、(一)被拘束者は、大学構内から無理やり自動車で連行された上、約一か月間も精神科病棟に入院させられたり、自宅に戻ってからも、外出等は禁じられ、厳しい監視の下に二か月余り離れでの生活を強いられ、その後かなりの緩和は見られるものの被拘束者に対する拘束は依然として継続して現在に至っている。しかし、そうしたことは、被拘束者が、親権者である拘束者の居所指定に従わず、あえて拘束者の親権の下から離脱する行動に出たり、精神科病棟に入院させる前夜に精神的異常を思わせるような言動を示したりなどしたことのほか、被拘束者の拘束につき、原理研究会関係者と目される者らから目に余る圧力等が加えられたのに対応しておのずと拘束が厳しくなったという特別の事情が存したことなどによるものであって、一概に不当視することを許さないものがある。(二)被拘束者に対する拘束中の取扱いは、拘束者を初め一家をあげて被拘束者の将来を憂慮し、被拘束者の幸福をひたすら願う慈愛に満ちたものに終始している。そして、その点については、被拘束者においてもおのずと分かってきて、早成寮に戻り、原理研究会に復帰するについても、拘束者を傷付けないようにしたいとの気遣いを示すに至っている。のみならず、最近に至り、被拘束者に対する拘束はかなり緩和され、また拘束者と被拘束者との間で親子の対話が持たれるようになっていて、被拘束者の復学についても昭和五九年四月を目途として手続をすることで話がつき、更に被拘束者に統一教会の教理に関する解説書を読むことも許されるなど、被拘束者につき、現在の環境の中で一応の安定を見るに至っている。(三)被拘束者は、現在一九歳の大学生で、年齢的には成人に近く、且つ優れた知能の持ち主であるが、いまだ心身発達の全段階を完了していないところから、多かれ少なかれ未成年者に共通の未成熟な面を残していないものとは言いえず、なお親権者である拘束者の監護教育にまつべき点も少なくないと見るのが相当であって、信教の問題についても例外ではないと言うべきである。また、拘束者は、被拘束者に対し、ひたすらその幸福のみを願い、一九年の長期間にわたって監護教育を継続してきたのであって、その実績は、今、被拘束者の幸福を考える上において、請求者がごく最近まで被拘束者とは何の関係もなかったのに比して大きな比重を占め、到底軽視することを許されないものがある。(四)被拘束者は、現在慢性胃炎等の疾病のため、拘束者の下で安静加療に務めるのが望ましい状況にある。

以上かれこれの事情にかんがみれば、本件拘束状態が親権行使の濫用にまで至っているものとは認め難い。したがって、拘束者による被拘束者の拘束は、その違法性が顕著である場合に当たるとまでは言いえない。

四  そうすると、請求者の本件請求は理由がないから人身保護法第一六条第一項によりこれを棄却して被拘束者を拘束者に引き渡し、本件手続費用の負担につき同法第一七条、同規則第四六条、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上野利隆 裁判官 田中観一郎 以呂免義雄)

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